歴史

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大正

誠心の礎

大正13年 誠心高等女学校 大正13年、誠心高等女学校は、長谷川鉄雄先生によって創立されました。当時創立委員であった山下五三郎先生が初代校長となり、「誠心・敬愛」を校訓として掲げました。浜松が生んだ名建築家中村与資平氏の設計により、長谷川家の約3,000坪の庭園の北側に、鉄筋構造による地下1階地上2階の学舎が昭和2年に完成しました。昭和元年、仙石貫造先生のデザインによる校章が制定され、昭和3年、瀬川深氏の作詞、中村鹿之助先生の作曲による校歌も制定されました。

大正13年 誠心高等女学校(4年制)開校

昭和

戦災と復興

昭和20年の戦災により、校舎が全焼し、職員2名・生徒4名を失いました。終戦の焼け跡から昭和23年、教職員と生徒は血の滲むような努力をし、また多くの義挙・支援により木造校舎本館が落成し、誠心高等学校を発足させました。

誠心の開花

鉄筋コンクリート校舎落成など、次々に施設・設備の拡充がはかられ、また、現在も引き継がれている学校行事が確立されました。 卓球部の全国優勝、体操部の全国出場、その他ソフトボール部、バスケットボール部が活躍しました。この他、演劇部、放送部、合唱部などの文化部も全国レベルでの実績を残しました。

昭和元年 校章制定
昭和2年 修業年限5年に組織変更
昭和3年 校舎落成、校歌制定
昭和4年 寄宿舎「敬愛寮」開設
昭和8年 校旗制定、「敬愛寮」閉鎖
昭和11年 運動場を丘の上に移転
昭和19年 財団法人に組織変更
昭和20年 戦災のため校舎焼失
昭和22年 誠心学園中等部発足、木造校舎落成、PTA発足
昭和23年 木造本館校舎落成、誠心高等学校発足
昭和25年 学校法人に組織変更
昭和26年 文芸誌「えんじ」創刊
昭和27年 木造西校舎、体育館改築落成式
昭和30年 木造講堂(誠心ホール)落成
昭和31年 木造南校舎落成、合唱コンクール開始
昭和35年 鉄筋4階建本館落成
昭和39年 鉄筋3階建南校舎落成
昭和45年 体育館講堂落成(鉄筋コンクリート)
昭和49年 創立50周年記念式挙行、長谷川記念館落成、生徒の夏季海外研修発足
昭和52年 第一別館完成
昭和55年 第二別館完成
昭和59年 創立60周年記念式挙行
昭和63年 特進コース設置、ソフトボール部アメリカ遠征

平成

進取の精神、再び

昭和63年に特進クラスが設置され、教育内容は更に充実しました。語学教育と情報教育は、その大きな柱となりました。アメリカ・オーストラリアへのホームステイなどの海外語学研修が実施されていましたが、平成3年からは、本校独自のオーストラリア研修に方向を変えました。平成6年にはカナダ語学研修が新たに追加され、国際理解教育の一環として高校生の修学旅行を平成8年よりアジア地域で実施し始めました。また、情報処理教育では、平成4年にコンピュータ教室が落成しました。

改革、新たなスタート

平成8年より、教育改革(カリキュラム・中高一貫教育・生活指導・広報)が進められました。これにより平成9年度より特進コースと総合選択制コースを開設し、生徒一人ひとりの個性や能力に対応できる体制を設置しました。また、入学試験のないゆとりある中高一貫教育の検討を行いました。更に、この時期に新校舎の建築が決定されました。 平成9年、教育改革の大きな山を乗り越えることとなりました。世界に開かれた学校を目指した「開」と誠心の伝統を受け継ぐ「誠」より、「浜松開誠館中学校・高等学校」と校名を変更し、74年間の女子教育から両性に門戸を開いた「男女共学」や、永い伝統あるエンジのラインのセーラー服を「ブレザー」とするなど、多くの改革を推進し、平成10年4月より「浜松開誠館中学校・高等学校」としてスタートしました。

平成2年 誠心フィル第一回演奏会、第一回白梅祭開催
平成4年 コンピュータ室落成、制服ネクタイ改良
平成6年 創立70周年記念式挙行
平成8年 韓国修学旅行開始
平成9年 特進コース、総合選択制コースの2コースに改組
平成10年 校名変更、男女共学化、制服変更、旧校舎解体、第一回真澄祭開催
平成12年 新校舎棟アリーナ棟落成
平成14年 総合グラウンド完成
平成16年 創立80周年記念式挙行
平成19年 スーパー文理コース新設
平成20年 制服変更
平成22年 スーパー理数コースをスーパー文理コースに変更
平成23年 総合グラウンド(多目的フィールド)全面人工芝化
平成24年 校舎増築

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